| 時を告げる孤独
どうしようか迷っていた。
今夜も僕は、疲れを抱えたまま、安らかに眠れそうにもない。
やりたい事はたくさんある。しなきゃならないことも。でも僕がそれほど一所懸命多くのことをしてるのかって聞かれたら、そうじゃないかも知れない。
したい事は、空気中に内包される水蒸気くらい多量だ。
だけどそのくらいはっきりしない。たくさんあるのにどれもこれもつかまえきれず、弄ばれている気がする。
だけど、本当に何かしなくちゃならない。
そうして僕は空回りして、訳もない焦燥に駆りたてられていた。 何もわからない自分自身の影に、脅えていた。逃げ場もなく、立ち止っていることも出来ず、見えたと思った僕の、目指すべきその『道』へ、走り出した。
それは自分の意志のはずだったのに、それさえ本当だったのか、僕にももうわからない。
時計は傷跡を残さずに時を刻み、もう午後8時も中盤に差しかかっている。
今日は疲れた。
だけどそれを癒すために時間を割いたりしないのは、僕の性癖だろう。
喉の乾きを潤すようにとコーヒーを飲み、元々弱い胃が直撃を受けて激痛。
それにしても今日、かなりいろんな所に行ったのに、春の訪れを実感し難がたかった。多分、雪解けと土の匂いが薄いからだろう。
都会の街中を徘徊していても、人々の群がる臭いと排気ガスにまみれた空気に、呼吸困難に陥るだけなんだ。陽射しは暖かくなって来ているけれど……。
コーヒーを飲み干し、染まりつつあるカップを叩きつけるように置いた。
この部屋にはたくさんのものがある。
そして何ひとつない様でもある。
それは自分自身にしても同じ。
僕はここにちゃんと存在しているようでもあるし、存在していないかもしれない。生きているのは身体的になら確かだけれど、僕は、僕を知らない。
僕は僕なのか、それすら知りはしない。
個人的な差異なんて、実際には小さなもの。変わっているとか、一体何を基準にして言ってるんだ。そんなこと言う奴だって本当は良くわかっちゃいない、いやわかってる人なんていないし、わかるはずもない。
僕はそれを知っている、だからと言って僕が他の誰かだとは言いやしないが、でも誰も本当の意味では自分自身じゃないかもしれないとは思っている。
こんな考えはおかしいのだろうか。
それこそ、『変わってる』って言われそうだ……。
今ここに必要なもの、それは書くもの。後は意志や考え、感じること。だけどこの三つは曖昧だし、流動的だ。他に残るのは時と明かりと……安息なのか。 ただ安らぎなんて決して来ないかもしれないし、捉えられないかもしれない。
今も、いつも迷っている。
蠱惑され、困惑し、思い悩み、苦しみにのたうちまわり、どうでもいいと振る舞ってみる。
それが何ひとつ解決にはならなくても、きっと僕は最初から有効手段だとは思ってないのかも知れない。
だから何かしよう、何かしたい、しなきゃならない。必要だと感じるからこそ、僕はいつも忙しそうにして、そして疲れている。力もないくせに世界のために尽くしたいと思い、無力さに絶望して自己否定だけに突き進む。
だけど、今の僕にはそれさえも出来ない。
無力さに脅えるから、自分の可能性を信じていたい。
眠くなってきた…もう0時になる。
そして、今を逃すと今夜もまた眠れなくなる。僕の毎日はその繰り返しだ。生活も。眠りたい、と思って機会を逸し、眠ろう、と思って眠れなくなる。今度は努めて眠ろうとするから余計眠れなくなるし、僕の全てが憔悴する。似たようなことの多いそんな日々が、無意味に連鎖して年を経てゆく。
僅かながらも何かに取り残されたように浮遊する、成長という名の変貌は、距離を変えながら僕らの現在を想い出の中に閉じ込め続けている。
僕らを変え、僕達の環境を変え、心や夢に現実を植えつけて。
それに逆らおうとしてもその流れはとても速く、力も強い。僕自身が流され、溺れたことに気づくまでどうしようもない。だいたい流されて変わってしまってから、やっと気がつくもの。
それに誰も助けてやくれない。
変わることが悪いわけじゃない。
ただ僕には、今この時がとても大切なはずだった。なのに無駄に過ごしてきた日々は乱雑に散乱し、僕の居場所を削り取っていく。
僕は昔、こう思っていたことがある。涙を零したその場所が、自分の居場所になればいいってね……。それほど僕は寂しくて、孤独だった。
それは今も同じなのかもしれない。あの頃も今も、哀しみに呑み込まれることが怖くて、孤独さに気づかないように、気づかないようにしようとした。
涙が零れ落ちる度、僕はその滴が全ての穢けがれを浄化してくれる様に願っていた。僕の罪と孤独を、洗い流してくれるように祈っていた。
それでも消えないと、実際には知っていたのだろう。僕が暗闇を恐れはしなかったのは、自分自身の穢れを覆ってくれると思ったからだろうか。
もう完全に眠気を失ってしまった。
漠然と佇むベッドの上では、誰かが悶え苦しんだ痕跡のように、ベッドカバーが荒れている。
自分の罪を書き写そうとしていた。眠りより休息より、今の僕にとって大切だと思えたから。泣きたくはない。それが僕を脆くしてしまうから。
わからない言葉の意味を調べた。
思ったような単語を使えずに落胆した。
人は案外言葉を知らず、言葉は思うより不便なもの。全てを表現出来はしない。そんな願いは最初から無謀なんだろう。
僕はそれを良くわかっているし、そのつもりでもいる。
そして僕は僕を描き出そうとしている。
しなければいけない何か、それはこれだけではないはずだけれど、まずは思うままにやってみればいい。巧くなんて出来ないとは知っている。
自分自身を素直に描き出そうとする度、自分の醜さを、僕の知らない別の自分に、批難されているようで恐ろしかった。消し去ってしまいたかった。
夜を好みがちなのは、夜の方が暗いからだろう。
そして人工的に、その中へ明かりを灯せるという事実を、僕は別の意味でも信じていたかった。暗闇に覆い尽くされた僕の穢れの中に、たったひとつでも善行があるのなら、何かによって灯されるんじゃないかと……。
自己に対する疑問や恐怖、焦燥が僕を先へ先へと追い立てる。 それは自己認識で、発見で、成長であり渇望でもある。
自分が一体何なのか、実際には誰も知りはしない。きっと暗闇の中で、何かに脅えるように震えているから。
眠れないのは、夜明けへの不安。朝日の中に解き放たれた僕の身体は、光の清さに突き崩されるのかもしれない。夜の闇の中で僕は包まり、暗闇を纒っては陰で子供のように泣いていた。それが昼間であるのなら、蔭を探して。
僕は何。
何をすればいい?
はっきり残されて曝さらけ出されているのは、いつだって犯した過ちと醜態だった。書き留めるべきものは全て、僕の愚かさ。
何処かで道を間違えてしまったのかどうかは、辿り着くまでわからない。
だから僕はいつだって走っている。身体はあちこちおかしくなっていて、心を庇う手立ても術も、ないけれど。
動きまわり過ぎた所為で疲れてしまったのは、いつの間にかもう昨日の事。
疲れているのはそれでも変わらない。
いや、眠りもせずに夜もふけて、だんだん疲弊して来ているのかもしれない。
そうなると僕は更に言葉を忘れる。
罪を書き残すことで、それを贖えるわけじゃない。
ただ、何か確かなものが欲しかった。救いがほしかった。
僕が何かをしようとしているのは、自分を確かめる手段なんだろう。焦っているのは、僕自身があまりにも朧気だからに過ぎない。
暗闇を恐れたことはなかった。
だけどその中にたった独りなのだという状況は怖かった。
寂しくて、何も出来ない自分を思い知らされては泣き続けた。
涙が奇跡を起こすとは思わない。でも慰めだった。
ベッドの上は血液と涙で汚れている。染みのついたシーツに包まり、暗闇と憔悴を抱き込んで、僕は毎晩午前零時を過ぎてから眠りに落ち込む。
どうしてこんなに傷ついていくのかさえ、本当は僕にもわからない。
でもね、すれ違う人波は、いつも僕から何かを奪い去っていくんだ。
ああ、もう本当に眠ってしまおう。
目醒めはいつも通り不快だろうけど、眩む程の光に罪を告白してみればいい。
安らかに眠れそうにはないから、朝のぬくもりだけを夢見て。
どうしようか迷ってるんだ……。
時計の針は、今日も同じように午前1時半を迎えている。
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