8年前、学院を卒業して街を出た。
何不自由なく家の手伝いをして暮らすことも、姉のように学院に残ることもできたけれど。魔術と剣術の腕だけを頼りに、旅立ったのが18歳の時。その3年後、遠く離れた地で母国の悲報を聞いた。
帰るところがないと悟るのに、時間はかからなかった。家業が絶えたと、黙っていても耳に入ってきたから。
魔術と剣術の両方を遜色なく業を磨き、己を高めること。相当の覚悟と努力が必要とわかっていたから、元々戻らないつもりで家を出たが、まさか故郷も家もなくなってしまうとは、思いも寄らぬ事態だった。
瑠璃の瞳 ─4─
エァルスが墓石の前に、片膝をつく。
「……今まで、申し訳ありませんでした」
深く礼をするエァルスの後ろ姿。
そこから低い呟きがもれるのがヴィンの耳にも届いていた。
(謝ることじゃないだろうに。)
そうは思うが、言わずにはいられないのだろう。
暫く身じろぎもしなかったエァルスが徐に顔を上げ、指輪の通された鎖をそっと引き出した。
どうなるかはわからない。けれど、こうすればいいだろうという漠然とした予感がしていた。墓石に刻まれた名前の上に、指輪を乗せる。
「フェリア姉さん……俺だよ」
意識せず、呼びかけてしまう。
・・・・・・・・ふわぁーーーーーーぁぁぁ・・・・・・・・・・・・・・・
あたりに、風が舞う。ざわざわ……と響く、葉ずれの音。
一瞬、夫婦は立ち竦んでしまう。地面から沸き起こる風に、煽られるように。
「石が……」
ヴィンは眼を見開いた。紺青の石が、暗闇の中で明るい光を放っている。
『汝の名は……』
突然、どこからともなく美しく、優しい声が響いた。
「フェリア姉さん?!」
忘れるわけがない。優しく、穏やかな声。
『名を……』
魅入られるように、彼女を守護していた象徴の石……ブルー・ゾイサイトの指輪を見つめた。
角度によって色を変える、多色性のある美しい半貴石。
彼女の瞳も、同じように瑠璃色をしていた。
「……エァルス・ロアン」
一度息を吸い込み、心を落ち着かせて答える。それでも、声が震えるのを抑えることはできない。
・・・パ・・・シーン………!!!
光が弾けた。
夜空に飛散し、ふわりと浮き上がると月光と戯れるように混じりあい、蒼白い光がきらきらと煌めき踊る。
光はゆらめきながら、あたりをうっすらと照らす人の形に集まり、仄かにゆれ動き……夜の闇に溶け込むローブを纏う、女性の姿を象った。
白銀の長い髪は軽く結わえられたまま風に靡き、光の粒が闇にとけこむように消えていく。
その人は、優しげに微笑む瑠璃の瞳で、あたたかで慈愛に満ちた視線を向けた。
エァルスの面差しが、そのまま映し出されているかのような女性。
片膝をつき、エァルスは呆然と魔法が創りだす、その姿を見あげていた。
ここに現れた姉の姿は、別れてから3年後。
それは、自分の知らない姉。
いつの間にか、もう彼女の年齢は越えている。
『お帰りなさい、エァルス』
唇が動き、姉の声が甘く、囁くように胸を打つ。
差し伸べられた細い腕。その右手の薬指には、墓石に置かれたはずの指輪がはまっていた。
『哀しい再会を嘆かないで。貴方がここに来れたことを、嬉しく思っているから』
?!
鼓動が、早鐘となって胸を突く。
哀しいというからには……最期の時に、幻影を残したのだろうか?
エァルスは姉を食い入るように見つめた。
しかし、彼女の瞳は自分を向いているのに、何処か中空をとらえている。それがたまらなく切なかった。
『貴方には相応しいはずです。約束を果たしてくれてありがとう』
知らず知らずのうちに、エァルスの瞳から涙が零れていた。
故郷が滅ぼされてから5年、ずっと涙を押し留めていた堰は、今この魔法で決壊してしまった。
約束。
最初に魔法学院でエァルスが才能を見いだされ、魔術師の道から魔法戦士としての訓練を受けることになった時も、卒院して旅立つ時にも、同じ約束を交わした。
天賦の才に自惚れることなく、努力は惜しまないと。
そして、魔力にも武力にも頼り切ることなく、常に己を磨いていくと。
……本当に、自分は姉の想いに相応しいのだろうか?
8年もかかってしまった事だけでも、姉の期待に報いられなかった気がするのに。
『エァルス……』
急に声色が変わる。
想いに沈みかけたエァルスが、ハッとなって姉を見た。
静かな美しい笑顔が、悲哀に歪んでいく。震える声に重なるように、一滴の涙が、彼女の頬を伝って光に変わる。
『立派になった貴方に、逢いたかった……』
涙を止めることは無理だった。押し殺すような嗚咽が風に混じる。肩は震えていた。
『でも、復讐なんて愚かなことは考えないで。争いが争いを生むことは、貴方にならわかるはず。もう逢えないのは哀しいけれど……私達の分も、貴方は自分の道を生きてね』
姉らしい言葉。いつも優しく穏やかで、知性的な女性だった。
若くして導師を修め、私利私欲の為に魔法を濫りに用いない──賢者の眼で、魔法学院の教えを遵守してきた人。
国家間の争いを、個人的復讐にすべきではない。独立は国を支える者達やここに暮らす、市民が成すべき事。
そもそも侵略者に対して『力』で返しては、自らを、家を、そして自分を鍛えた魔法学院を貶める。
墓石に手を掛けて、項垂れたままエァルスは黙って泣いていた。
姉がぬれた瞳で見護っている。8年の歳月が用意した、残酷で、大切な出逢い。
4人の間で、時間が止まったような感覚さえ憶えた。
その時。
風が変わった。鋭くヴィンが身構える。エァルスも顔を上げ、手を剣にかけた。
音もなく、近づくもの。
金色の瞳が、4人をとらえた。
ふわ…………。月を遮る影。
驚きで、身を固めた。
涙にぬれ、大きく開かれた瑠璃の瞳に、月光を透かしたその姿が映る。
──黄金色の双眸──
「……フクロウ?!」
ヴィンが思わず、短剣を抜いたまま気が殺がれた声を上げた。
墓石に、羽音もさせずに舞い降りた影。
それはヴィンの言葉通り、小型のフクロウ。
茶褐色のやわらかな羽毛に包まれた躯が小さく呼気に膨らみ、何処か優し気にも思える黄金の瞳が、エァルスを見つめる。
(この梟がなんだってんだ?)
驚愕に言葉が出ない相棒の様子に、ヴィンは怪訝な表情を向ける。
しかしその疑問に答えることも出来ない。
エァルスの脳裏に思い出されるのは、いつも姉の傍らで仕えていた、金色の瞳をした梟──
「フェリア様の……使い魔……?」
ミファーナがやっとのことで呟き、呆然と地面にへたり込む。ヴィンが唖然と顔を向けた。
「ずっとここで待ってたっていうのか?」
姉の幻影はあくまで優しく、穏やかな瞳を保っている。
エァルスの目前で、
大きな双眸が、自分を見つめる。金色の瞳が瞬き、首をくいっと傾けた。
「ち、が……?」
眼光の中に写る自分の姿に、少し感じる違和感。
使い魔となる動物は、定命乍ら魔力を宿し、寿命は普通の動物よりも長い。
けれどもその梟の姿というより、自分に向ける表情、その眼差しが何処か……何か、が。
“ お待ちしておりました。 ”
聞こえる声に、双眸が涙を切る。 エァルスが手を差し伸べると、その手甲に梟が音もなく身体を乗せた。
鋭い爪が手に食い込まないよう、気遣う素振り。それは明らかに、『使い魔』としての振る舞い。
“ エァルス様ですね。フェリア様と、母より、申し遣っております。貴方様のお力になるようにと。 ”
「……母? それじゃあ……」 合点がいったように、呆然と呟くエァルスと目線を合わせ、その梟は微かに大きな眼を細め、首を傾ける。
“ セーンと名づけられております。いつでもお呼び下さい。これから……いつもお供に。 ”
セーン、と名乗った梟は、ひとつ金色の瞳で瞬きをすると、ぺこり、と頭を下げた。
後ろに映る姉の幻影の傍らに、同じ姿の梟が舞い降りる。
『この子とこれから生まれる子供に……私から魔法を授けておきます』
姉の表情が、再び慈愛に満ちた優しい笑顔を宿す。 『貴方を護ってくれるように……。
私の魔力と魔法を、この子の血が引き継いでくれるように……貴方が生きている限り、ずっと』
姉が作りだした光が、幻の中の梟の身体をやわらかく照らし、包み込む。
『私の力と、この子の子孫達が、貴方の幸せの助けになりますように』 微笑みは何処までも静謐で、それはまるで聖堂に掲げられた聖女の絵画のようだった。
きっとこの時、姉は戦いに染まる街の中……迫り来る死の縁で、最期の魔法を紡いでいた筈なのに。
ふわりと幻の梟が薄れ、その光は目の前の小さな呼気に膨らむ身体にそそぐ。
セーンの琥珀を透かしたような瞳に、自分の濡れた面が映りこんでいた。
『エァルス』
呼びかけられ、中空に顔を戻す。
視線は何処までも合わないけれど……これがきっと、最後の姉弟の対峙。
『この子の血筋をよろしくね。そして、貴方は自分の道で……どうか、幸せに──』
風が吹いた。
辺りの光を消して。
葉擦れの音さえ潜めていた時が、再び動き出す。
仄かに煌めいていた幻は消え去り、暗闇の戻った空の下を、星の瞬きと月光だけが照らしていた。
「……セーン」
恐る恐る呼びかける主となった魔法戦士の言葉に、一羽の使い魔が目を向ける。 この小さな躯の中に、姉の魔力を宿して。自分の支えになると言う。
きっと使い魔の躯を介するとしても、導師であった姉の魔力なら、今の自分より力は上だろう。 こんな時でさえ、復讐も家や母国の復興も望まない。
望んだのは、自分の力を注いだ使い魔の子孫の庇護と、弟の幸せだけ。
俺は果たして、姉さんの気持ちに報いることが……出来るのだろうか──
そんな自嘲的な想いが、脳裏を過ぎる。
自由気儘に生きている冒険者。
それが──学院を護って命を賭した、街を護り案じた、その人の力を受け継ぐ資格があるのか、不安だった。
エァルスがその葛藤のただ中にいる時に。
「弟想いの、ホントにいい姉さんだなぁ」
不意に、ヴィンがそんな言葉を投げかけるから。
「おまえの幸せだけを願って、ここまでしてくれたんだろ。そんな辛気くさい顔してんなよ」
笑いながらセーンを優しく撫でる、この男の言葉に。
僅かに目を細め、首をくるりと動かしてふたりを見あげる、姉の形見の小さな命に。
「そうだな……」
生き残った命を、悔いなく生きるために。
街を離れた時のように、自分はこれからも姉との約束を護り、夢を追ってもいいのかもしれないと。
新しい想いが、エァルスの微笑みに浮かんでいた。
やっと訪れた約束の時と、大切な想い。その想いがくれたあたたかい穏やかさ。
けれど、そんな穏やかなひと時を嘲笑うように、仄紅い光が遠くに揺らぐのが見えた──
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