さすがに街も外れになると、まだ戦乱の爪痕が残る。5年という月日は、長いようで短い。
侵略された悲しみを映し出したかのような、傷みが激しい路地の脇に、ひっそりとその宿場は建っていた。
──『梟の羽亭』──
瑠璃の瞳 ─2─
宿の吊り下げ看板には、羽を象った細工と共に、そう記されていた。
2階建ての宿屋は古びているだけでなく、壁板にところどころ刀傷が残ったまま。ランプを灯されていない外観は、何処か寂しげな佇まいだった。
そんな場末の宿にさえ垣間見える、『聖賢都市』の誇り。
フクロウは古来より黒猫と並び、最も魔法使いに愛されてきた使い魔。
この街では、魔法学院を中心にして多くのフクロウが使い魔として飼われていたという。しかし魔法力に脅威を感じた侵略者である隣国は、学院自体をまっ先に壊滅させた。
学院を護る為に、多くの魔術師が運命を共にしたと聞く。
手続きを済ませて部屋に通されたエァルスは荷物を置くと、宿の扉に嵌め込まれたフクロウの調度品に手をかけた。誇張されて大きく見開かれた真鍮の双眸が、鈍い光を反射する。
夜陰に羽ばたき、智恵の象徴の一方、不吉ともされる鳥。魔術師と同じ、畏敬と畏怖の二律背反。
「ホント、魔法使いの街って感じだな」
その言葉にエァルスは手を離してくすり、と微かに笑う。
「で。明日の予定っつーか……おまえ、この街に来た理由があるんだろう?」
空腹でなければ、夕食前に肝心な話は済ませておく。
盗賊の割に律儀な性格のヴィンと、剣士ながらやけに理論派のエァルスが、いつの間にかお互い暗黙のうちに作った日課だった。酒が入らない方が、冷静な考えが纏まるからだ。
「そうだな……もう言うべきだろうし」
そうにこりと微笑むあくまでも整った顔は、僅かに眉だけが顰められている。
場末の宿の部屋には、一脚の簡素な椅子と二人分の寝台があるだけ。
ヴィンはベッドに座り、椅子に腰掛けて頭部保護用の金属板を巡らせた布を解いた、エァルスを見つめた。
元々ふたりが連れだったのは、このキュシュアより遙かに南西。3ヶ月の間に国境をふたつ越えている。
エァルスはどうも、そもそもこの街を目指していたらしい。慎重に行動するこの男が、わざわざ占領下にある都市まで赴くからには、何か理由があるか、重大な情報を握っていると踏んでいる。
エァルスが答えたがらなかったので、余計にそう思うのだ。
「大体、さっきの指輪を調べるためなら、ここに来るまでに幾らでも魔術師ギルドでもなんでも、行きゃ良かったじゃねぇか」
旅の途中、そんな機会は幾らでもあった。
「あれは言い逃れだよ。あれこれ詮索されたり、調べられたくなかったからね」
さらりとそう言い放つ。
つまりは嘘、だったらしい。
「……ホントにいい性格してんな」
呆れ混じりにそう呟く。
ベッドに片膝を立て、思わず頬杖を付いた。
衛兵に槍を突きつけられ、魔法検知をかけられ、よくまぁあんなに冷静に嘘でその場を逃れられるもんである。
「もしかして、わかってて準備してたのか?」
ふと、あの場面を振り返り、疑問を口にした。
表情は揺らがず、微笑みの形のままだ。
「……まぁ、魔法探知くらいはね。俺の身なりからして、反応があれば訝しがられるだろうし」
つくづく腹の据わった奴である。
「そこまでして、なんだってこの街に来たんだよ」
「捜し物があるんだ」
エァルスの表情がヴィンを見据えて、真顔に変わる。 「それで……その捜し物の為に、実はヴィンに組んで来て貰った。君の利益になるような捜し物じゃないから、報酬は俺から払うよ。手がかりもないし」
端正な顔立ちだけに、真顔になると深刻さが伺えてしまう。
頼むという態度だからか姿勢を正し、エァルスは椅子毎身体を近づけた。
勿論、安普請の宿だから、廊下に声が漏れないように小声で話す為、でもあるだろう。
「腕を見込まれて組んで貰ったんなら、俺としちゃ本望だぞ」
にやりと口の端で笑った。
共に旅をしてきて見ているが、年の割にはエァルスの剣の腕は確かだ。
何度となく修羅場をくぐっただろう、経験と技術に裏打ちされた的確に磨かれた太刀筋。盾さえ持っていない軽い装備で、自分と連れ立つまで独りで冒険を続けてきたんだから、かなりの物である。
そんな相手に見込まれたなら、男冥利に尽きる。
「何捜すんだか知らねぇが、この街にあるんだろ? 街ん中なら危険もねぇだろし、役人や衛兵共に見つからねぇように捜し物するくらい、報酬いただく程でもねぇよ。盗めってんなら別だけど」
盗賊である自分に『捜す』としか言わないのは、理路整然と喋るこの男とすれば『盗め』と言うことではない筈だ。
「確かにそれはそうだけど……」
歯切れが悪い。この街に来てからというもの、何処か態度がおかしいように思う。
「じゃあ、手伝う代わりにさっきの指輪」
思いついて声に出すと、明らかにエァルスの表情が強張った。
やはり何かある。
「勿論、寄こせなんて言わねぇよ。見せてくれ。そんくらいならいいだろ?」
「何故? ただの指輪だよ」
明らかにこの態度は拒んでいる。
「俺は職業柄、手に入れられなくてもお宝には興味があるんだよ」
「それはわかるけど……」
大体に於いて、自分の持つ回復薬のポーションなどには反応しない魔法探知に、反応した程の強い魔法の指輪が、ただの指輪なわけがないだろう。
「なら、それが報酬ってのは駄目か?」
「…………」
自分から言い出した台詞に、縛られたのは彼の方だ。
暫し逡巡し、諦めたかのように顔を歪めて俯いた。銀の髪が夕暮れの陽の光を浴び、仄かな色に煌めいて流れる。
仕方ないなと言った風に、無言の儘エァルスが首元に手をかけた。
革袋は腰のベルトから外していない。不思議に思うヴィンの前で、エァルスが首から銀の鎖を引き出す。
その鎖の先に、先程の指輪が通されていた。
やはり、ただの指輪ではないんだろう。こうやって身につけているなんて。
つまりは革袋に入れていたのさえ、偽装の為だった、ということか。
エァルスはその鎖をやけに短くしか引き出さず、留め具を外そうとしていた。その行動の不自然さは、盗賊故の観察眼には明らかでしかない。
「そんな風にしたら外しにくいだろ」
警戒されないよう、さも当然、といった風に素早く鎖を引いた。
はっと眼を大きく瞠り、エァルスは椅子を引いて飛び退く。
しかし。
外しかけの留め具が引かれて離れ、職業の成せる技か、エァルスではなくヴィンの手に残った。
引き抜かれた鎖に通されていたのは、指輪だけではなく。
もうひとつ、輪環のついた銀のメダル。
その白銀に光る表面に、荘厳な彫刻がされていた。
白銀の色はエァルスの鎧や長剣と同じ、暖かく不思議な光を湛えている。正しくそれは、真の銀(ミスリル)。
咄嗟に伸びる手をかわして表面のレリーフを目にした、ヴィンが驚愕の色を呈す。
「……な?!」
このメダルを持つ人間は、非常に数少ないはずなのだ。
「お……まえ、一体……な……んで……?」
何故こんなものを、おまえが持っている?
一体、何者だ? どうして、一介の戦士がこんなモノを持っている?
──キュシュア魔法学院の魔術認定証を…………
「返せ!」
鋭く声がした。
その顔は、いつもとはまるで違う。
憤りのような、焦燥のような感情に、一方で苦悩と後悔をも滲ませているように見えた。
エァルスを遮って、小さくとも圧力のある声で問いかける。
「なんでおまえがこんなモノ持ってるんだ?」
手に持ったメダルを、指し示す。
「自慢じゃないが、俺は組織の一員なんだ。
これが魔術認定証で、この紋章が滅ぼされたキュシュア魔法学院のものだってことくらい知ってる。中でもミスリルのメダルは、優秀な成績を修めた者にだけ与えられる、学院最高位の認定証だってことも」
言葉を挟む余地を与えないよう、一気に喋った。
こんなに狼狽する相棒を、ヴィンは初めて目にする。返答に窮する表情が、色を失くしていた。
ヴィンが突き出すように指し示したメダルは、エァルスの眼前。
手を伸ばさずともそれを取り返すことは容易いのに、彼は動けないでいた。
メダルに目を向ける。
書物と翼を象った紋章。キュシュア魔法学院の名と、認可の文字。そして、
「エァルス・ロアン……?」
彫られた文字を呟くように読むと、再び顔を見返した。
「……おまえの名前か?」
答えを聞くまでもない。
メダルは、このエァルス本人の魔術認定。
俯くエァルスにメダルと指輪を返しながら、ヴィンの頭に様々な思いが去来する。
エァルスも同じで、彼は何をどう弁明……いや、説明したら良いか、言葉を探していた。
「道理で盾を持ってないわけだ……」
惚けたように、ぽつりと呟く。
魔法を使うには片手で、呪文にあわせた動きをとる。盾を持っていたら、形がとれないから。
噂として、聞いたことがある。伝説のようにも思っていた。
騎士達と並んで剣を交え、攻撃魔法で数多の敵をうち砕いた───古の時代、華々しく活躍した魔法戦士。古代王国が滅んで幾星月が流れた今も、僅かにこの大陸でも流れを汲む者がいると……。
「……キュシュアの魔法学院には、その教えと業が残っていたんだな」
納得の面持ちでヴィンが見つめる先には、その言葉に顔を曇らせる、伝説を受け継いだ男がいる。
複雑な表情。しかし、全ては図星と如実に出ている。
「そうだよ」
覚悟したように、エァルスが低い声で呟く。
「俺はキュシュア魔法学院、最後の……」
コンコン!
「お客さん!」
突然のノックと、扉の向こうからの声。
肝心な台詞を遮断され、さすがにむっとした顔で、エァルスが振り返る。
ヴィンも拍子抜けして呆れた笑いを浮かべる。立ち上がって戸口に行くと、扉を開けた。
「失礼しますよー。あぁ……そう、兄さんだよ」
声をかけてきたのは、宿の主人。
扉を開いたヴィンではなく、椅子に座ったままのエァルスに目を向けて声をかけた。
「人が訪ねてきてるんだが」
戸口の主人の蔭に見えたのが、大通りでエァルスを凝視していた女性と気づいて、ヴィンは更に苦笑を強めた。
「おいおい……」
こんなところまで、と言おうとした時。
「……ミファーナさん?!」
先に声を上げたのは、意外にもエァルスの方だった。
大きな瑠璃の瞳がこぼれ落ちそうに見開かれた。
その女性に呆然と目を向けている。
「エァルス……?」
怪訝な面持ちでヴィンは相棒を振り返った。
と、思い当たる。
キュシュア魔法学院の出身者なら、当然乍ら、以前この街に住んでいたということ。
(あぁ……知り合いか。)
ヴィンの思考回路が合点を導き出そうとしていた刹那。
その『おばさん』が声をあげた。
「やっぱり……! あんた、やっぱりそうだよ!!」
甲高いその声に、思わず煩そうにヴィンが顔を顰める。
「おぉ……」
ミファーナと呼ばれた女性の後ろから、震える声で同じ年代の男性がのっそりと顔を出した。
「本当に……生きて……」
「やっぱり、ロアン宝石商の末息子様だよ!!」
ヴィンの脳裏に、ざらざらと宝石の映像が降ってきた。
「……………はい???!!!」
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